衆院選が近く、各政党がさまざまな経済政策を披露していますが、
「国土強靱化計画」を標榜して公共事業に力を入れる政党もあります。
震災復興のための堤防整備や先日のトンネル崩落事故もあり、災害対策の
意味でも老朽化したインフラの整備が必要となりますが、そこから公共事業への
なし崩し的な投資が行われる懸念もあります。
「コンクリートから人へ」と標榜していた現与党も、結局はダム開発や
新幹線延伸など、見直しベースだった公共事業に結局投資することなり、
経済政策を進める上で公共事業はある種の麻薬ではないかと思わせます。
つまり、目先の経済を動かすには有効かもしれませんが、それは結局後の
世代の金融資産を当てにすることであり、未来を削ってでも(要は経済的体力を
失うことを覚悟の上で)行っているということです。
それらの公共事業が有効利用されていれば問題はないのかもしれませんが、
クローズアップされるのは公共事業で整った地方都市、その裏で経済的には
まったくといっていいほど振るわない地方都市です。
新幹線や高速道路の敷設でストロー現象がおこり、地元である程度進んでいた
経済活動がほとんど大都市に流出してしまうことが散見されます。
これは経済活動は人口が多いほど効率的になるので大都市中心に
なるのは当然の現象とはいえ、地方経済のますます疲弊を招くのは否めません。
では公共事業は全て悪なのかといえばそういうわけではなく、経済性との
バランス感覚が重要になってくるということです。
人口が多ければ経済活動が効率的になるというセオリーから、
いわゆる「国土の均衡ある発展」は理論上不可能です。
そこでヒントになるのが「熊本アートポリス」というプロジェクトでは
ないでしょうか。
これは国内外の建築家を招き、それぞれのテーマで公営住宅や美術館といった
公共施設を建設するプロジェクトですが、これは地方経済の独自性を守りつつ、
公共投資を可能にするのでがないでしょうか。
また、そのような建築資産は独自性といった価値も高く、それを軸にした
観光といった経済活動も期待できます。ただ、経済活動を抜きに、安易な箱物への
投資は厳に慎まなければなりません。
地方への公共投資にモニュメント的なものは不要です。
より経済活動の実態に即したものが求められます。