雑記

大相撲の「引き分け」は日本の精神文化

投稿日:

memo1228
現在ではちょっと考えられませんが、昔は大相撲に「引き分け」がありました。

大相撲の歴史は古く、遠くさかのぼれば「日本書紀」の野見宿祢と
当麻蹴速の力比べにまで行き着きますが、これは伝説。

職業相撲は江戸になって、大名お抱えの力士が登場して興行としての
相撲が成立しました。

寛政年間、4代横綱谷風とライバルの5代横綱小野川、
そして相撲史上最強と謳われる雷電為右衛門が競って、
一つのピークを迎えます。

江戸時代の錦絵(浮世絵)に3人のまったくタイプのちがう
人物を並べて描いた異色の一枚があって、それは「花魁と役者と力士」。

この三つが江戸町人の娯楽三傑だったわけです。
ちなみに、寄席も江戸で流行りましたが、ピークはむしろ明治・大正に
なってからです。

さて、その大相撲、戦前までは「引き分け」はふつうにありました。

江戸時代はいうに及ばず、昭和戦前の双葉山の時代でも、
たとえばひと場所の成績が「9勝1負1分け」ということは、
ごく普通のことだったようです。

なお今のように1場所15日制になったのは戦後、大鵬の時代くらいからです。

その先輩にあたる初代若乃花(「若貴」の伯父さん)くらいまでは
まだそうではありませんでした。

これはもともと、野天興行だったため、その日の興行の成否が
天気に左右されたためでしょう。

今でも行司は懐剣を持っていて、それは「軍配差し違え」を
したら自ら腹を切る、という心構えを表しているといわれますが、
その行司の「勝負預かり」ということも昔ありました。

勝負の決着つかないまま、「この勝負は私があずかります」と行事が裁くのです。

この「引き分け」「勝負預かり」は、なにがなんでも、どちらかが
死ぬまで戦わせて決着をつける、という西洋のスポーツ(古代オリンピックがその例です)とは
正反対の、日本的「精神文化」と言っていいと思います。

外国人力士が中心になった現在は、「水入り」すらほとんどなくなってしまい、
「引き分け」などもはや伝説の領域に入ってしまったようです。

「最後の引き分け」は昭和49年9月の秋場所「三重ノ海、二子岳」戦でした。
水入りを繰り返し、取り直しとなってそれでも決着がつかずついに
引き分けたという、そんな熱戦は今では望むべくもありません。

adsense

adsense

-雑記

執筆者:

関連記事

no image

父母もジーユーを使ってます

あるとき、私の母から電話がありました。 ”ジーユーってどこにあるの?” 最近母がユニクロでよく買い物をしていることは知っていましたが、 母の口から”ジーユー”が出てくるとは! どうやら何かのテレビで、 …

no image

完璧主義だと幸せになれない?

完璧主義だと幸せになれないのか? 完璧主義の人、結構いると思います。 自分もおそらくその部類に入るので この記事を書いているのですが、 理想とするハードルが凄く高いんです。 完璧主義であるから、少しの …

no image

ベランダ菜園の土作り

マンションやアパート等、庭の無い住宅環境でも、実現が可能な ガーデニングや家庭菜園が人気を集めている様です。 これらは俗に、「ベランダ菜園」、「ベランダガーデニング」と呼ばれています。 狭いベランダで …

マックのコーラグラス 100周年記念版の口コミ・評判は?

マクドナルドが100周年記念ということで コーラグラスの販売を行うようです。 今回はプレゼントではなく「販売」ということで セットにプラスで100円を追加して購入することに なるか、もしくはグラスだけ …

no image

おすすめ「朝ラー」!

私の実家は福島県の喜多方市というところにあります。 喜多方市はラーメンで有名な麺処。観光客も多く訪れる観光地です。 そんな喜多方にはおそらく知らない人が聞いたら「え、何それ」と 驚く珍しい習慣がありま …

アーカイブ