雑記

「私の青空」日本オリジナルは「流行歌の鼻祖」二村定一

投稿日:

memo1228
現在オンエア中のフジカラーのCМで、スタンダードナンバー
「私の青空」が使われています。

歌詞を変えていますが、オリジナルの日本版は
「夕暮れに仰ぎ見る、輝く青空。~狭いながらも楽しい我が家」と
いう歌詞で、文字で見ても自然にメロディが浮かんでくる人も、
特に中高年には多いはずです。

スタンダードナンバーは数あれど、この歌ほど長寿の曲は珍しい。
オリジナルは1927年、といいますから昭和2年、いまから
88年前に発表され、大ヒットしました。歌手はジーン・オースティン。

日本でカバーされたのは翌、昭和3年。その「輸入」の速さには
驚かされますが、時まさに昭和モダニズム、「モボ、モガ」の時代。

時代を象徴する音楽でもあったのです。日本版の歌唱は二村定一と天野喜久代。
二村は、作家の色川武大が「流行歌の鼻祖」と称したように、
日本の歌謡曲歌手の先駆者です。

当時音楽学校の学生だった藤山一郎(のちの、国民栄誉賞受賞歌手)が、
二村にあこがれ、クラシックの声楽家ではなく流行歌手になった、
というエピソードがあるくらい、二村は大変なスターでした。

二村はその後榎本健一(エノケン)と一緒に一座を組んで、
浅草の興業界を席巻します。しかし、しだいにエノケン人気が高まり、
二村は添え物のようになって行きました。
呼称も「エノケン一座」というように変わっていきます。

かつては頂点にあった二村は二番手に甘んじ、そのストレスから酒におぼれ、
自堕落になっていったのでした。エノケン主演の映画でははっきり脇役になって、
けれど舞台には立ち続けました。

しかし、結局、昭和23年舞台で倒れ、帰らぬ人に。48歳という若さでした。
独身だった二村の葬儀は、彼がかわいがっていた慶応大学の男子学生たちが
とりしきったといいます。

不遇な後半生を送った「日本流行歌の先駆者」は、最後の最後で、
もっとも幸せな旅立ちをした、といっていいかもしれません。

ちなみに、昭和36年の日本レコード大賞曲の「君恋し」も、オリジナルは
二村定一です。フランク永井が悲劇的な後半生を送ったことを思えば、
なにか因縁めいたものを感じさせられます。

adsense

adsense

-雑記

執筆者:

関連記事

no image

かっこいいプラモデルの作り方

男の人なら、幼い頃にかっこいいプラモデルの箱をおもちゃ屋さんで 目にしては心をときめかせたのではないでしょうか? 実際に私は子供の頃からプラモデル、特にガンダムのプラモデルに 心をときめかせたものでし …

no image

有田焼の万華鏡の挑戦

有田焼は日本を代表とする焼き物ですが、平成2年のピーク時と比べ、 現在はその時の7分の1まで売り上げが減っています。 このことから有田焼や化粧品などの高級品を梱包する業者に携わっている人が、 有田焼の …

no image

ユニクロのフリースを着て外出できない

今はユニクロのフリースを着て外出する人ってほとんど見かけないですよね。 近所の買い物等でしたらわからないですけど、少なくとも都心にフリースを 着ていってファッションの1つだとはあまり認識してもらえない …

no image

大相撲の「引き分け」は日本の精神文化

現在ではちょっと考えられませんが、昔は大相撲に「引き分け」がありました。 大相撲の歴史は古く、遠くさかのぼれば「日本書紀」の野見宿祢と 当麻蹴速の力比べにまで行き着きますが、これは伝説。 職業相撲は江 …

no image

死蔵している大型スピーカーの修理と再利用方法

今から20年から30年ほど前に、オーディオブームと呼ばれるブームがありました。 「原音再生」を目標に、様々な大型スピーカーやオーディオ製品が発売されたのです。 この当時のスピーカーを、大型リサイクルシ …

アーカイブ