雑記

三島由紀夫が愛した女形たち

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memo1228
作家の三島由紀夫は、生涯で何人かの女形役者をひいきにし、
愛してもいました。昨年の紅白歌合戦に喜寿にして初出場と
なった美輪明宏もその一人です。

美輪の生い立ちは割愛しますが、戦後、長崎から東京へ出て
「命がけの自立」を体験します。

今でいうホームレスのような生活を送り、やがて銀座の
「ブランズウィック」という喫茶店で、ボーイとして働くようになります。
これが彼のターニングポイント。

その店は、今のゲイバーの魁となった店で、当時の著名人の江戸川乱歩や
三島由紀夫、さらには高名な歌舞伎役者なども出入りしていました。

美輪はそこで多くの著名人と知りあい、わけても、三島由紀夫の偏愛を
受けながら、成功していったのでした。

それより以前に、三島には思春期から傾倒していた女形がいました。
それは六代目中村歌右衛門。その前名の時代から、ひいきにしていたことは、
三島の残した「芝居日記」からもわかります。

三島には別に七代目宗十郎という偏愛の女形がいましたが、
この人すでに老優でしたから「恋人」にはなりえませんでした。

さて、歌右衛門です。彼が歌右衛門をいかに愛したかを知るには、
「女形」という短編小説を読むに限ります。

三島は、「仮面の告白」以来、自身のすべてを、作品でおしげもなく
表した作家だと、見ます。彼の自己へのすさまじい情熱が、意志とは
関係なく、正直に自己を語らせてしまう。
その頸木から逃れられなくなっていたのだろうとも思います。

作家の韜晦、ということから、実は彼はもっとも遠く離れた
人だったのではないでしょうか。

彼は韜晦から離れていた。韜晦と世間が思う、そのことを十分計算に
入れて、だからこそあえていつわらざる「自己」を描いたのではないでしょうか。

三島が最後に愛した女形こそ、坂東玉三郎です。三島45歳、その年自決する
三島は、自作の「椿説弓張月」の舞台で、当時10代の玉三郎を抜擢します。

そしてそれが、三島最後の、「女形役者へのラブレター」となりました。
去年、その玉三郎が人間国宝の指定を受けましたが、
泉下の三島が聞いたらどう思うか。

「おれははじめから、こうなることはちゃーんと、わかっていたんだよ」、と、
テネシー・ウィリアムスの戯曲よろしく(「欲望という名の電車」)、
言い切って、かっかっかっと、快活に笑ってみせるのかもしれません。

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