時折、ふと思うこと、裁判員裁判制度に関する事件の行方は、
たまに報道されるのですが、裁判員制度自体に対する検証は、
どこへ行っているのでしょう。
かなり昔、メンタルケアは、やはり欠かせない、というような
雑感レベルで終わっている風なコラムを、新聞かどこかで、
読んだような気はするのですが。
あるいは、多少裁判がスピードアップされたなど、
個別の事件に関して、コメント程度のものは存在しているようですが。
そもそも、裁判の結果が、良かったのか、という根本的な問題もありますし、
それ以前に、この制度が発足して以来の、個人的な疑問、
何故重大裁判に、素人が参加しなくてはいけないのか、という疑問は、
ほぼ解消されていない気がします。
重大な裁判は、素人が裁けるようなものではないからこそ、
裁判官がいるのではないだろうか、という制度の根幹にまつわる疑問は、
そのままに、現実だけが進んで行きます。
そもそも、この制度の趣旨は、一般人にも、司法制度に馴染んでもらうと
いうことのはず、であれば、民事裁判、つまり、近所の騒音問題が
裁判所に送られると、どういうことになるのか、に、参加した方が、
より身近に司法を感じますし、安直に司法に持ち込んで解決という
事案は減るのではないでしょうか。
刑事事件でなくてはいけない理由が、よく解りませんが、
そこを譲歩したとして、何故ジャッジに関わるのか、本日付新聞に、
「保護司の少人数化」が出ていましたが、そちらへ人を回す方がよほど、
物理的にも、啓蒙という意味でも、現実的ではないのか、
今、一つ釈然としない制度の1つが、裁判員制度です。