フランスの作家であり詩人であり画家でもあったジャン・コクトー。
彼の代表作の一つが「美女と野獣」です。
映画化もされ、ディズニーのアニメーションにもなり
ミュージカルにもなり、日本では劇団四季が上演、
大切なレパートリーの一つとなっています。
いかにも西洋らしい物語。「オペラ座の怪人」のガストン・ルルーも
フランス人。さらにはアルセーヌ・ルパンのルブランまで
連想することが可能な、「フランス好みの世界」といえるかもしれません。
しかし、「美女と野獣」のルーツが日本。
それも歌舞伎の代表的な作品だったということは意外に知られていません。
フランス人が日本文化から影響を受けるというのはめずらしいことではなく、
かの絵画運動「印象派」が日本の浮世絵から影響を受けて
生まれたことは有名ですし、それはさらに音楽の印象派、
ドビュッシーを生みました。
コクトーもその流れに位置する人といっていいでしょう。
彼は来日した折に歌舞伎座を訪れました。
演じられた演目が、「鏡獅子」。演じ手は天才、六代目尾上菊五郎。
現菊五郎のおじいさんです。亡くなった中村勘三郎はその血をひいています。
コクトーは菊五郎のこの舞踊を見て感動し、「菊五郎は司祭である」と
いう一文を残しています。
彼は帰国後、歌舞伎座で見た舞台をもとに筆をふるい、換骨奪胎、
「美女と野獣」を書き上げました。
歌舞伎の「鏡獅子」は、徳川将軍おかかえの小姓が、正月の祝い、
ご祝儀に舞を披露する。その舞の流れの中で、供えってあった
獅子頭を手にしてこれを小道具として使う。使っているうちに獅子の
精霊が体に入って、獅子そのものと変じてしまう。といったストーリー。
コクトーはこれを前半の美女と、後半の獅子つまり「野獣」の二人の物語と
して再構築しました。
日本からの帰途、見た舞台の記憶をもとに、さまざまに考えを
めぐらしていたコクトーのさまを、想像するのも一興でしょう。
ちなみに、亡き中村勘三郎は「鏡獅子」とライフワークと
していました。その完成を見る前に、彼は逝ってしまいました。